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合掌屋根の下で。

なんと-e.com公式ブログ「なんとコラム」


2008年07月15日
 7月5日午後3時。東海北陸道が全線開通しました。
 菅沼合掌集落も、開通後、毎日たくさんの観光客で賑わっています。

 当初は、平成17年の「愛知万博」までに全線開通を。という話だったようですが、難工事だったために、これだけの時間がかかったそうです。
 それもそのはず、日本で2番目に長い「飛騨トンネル」が通る山は、「籾糠山(もみぬかやま)」と呼ばれ、昔から地盤が弱いと言われていたそうです。昔の人たちは、どうやってそんなことを知りえたのでしょうか?ボーリング技術や電磁波探査機なんてない時代に・・。そして、そんな山にトンネルを通してしまう、現代の技術もまた、すごい!ですよね。

 10.7kmの「飛騨トンネル」。私も通ってきました。対面通行の割には、あまり圧迫感はなく、新しくてトンネル内が明るいからか、広く感じました。
 富山側から岐阜に向かうときは、ずっと上っていくようです。反対に岐阜側から来るときには、下るので、以外にスピードが出てしまいます。トンネルの中では距離感が鈍るので、「気をつけなくちゃ。」と思いました。また、道路が高いところを通っているので、トンネルを出るとすぐに橋脚。という場所にも注意したほうが良さそうです。
 
 それにしても、本当に近くなりました。
店には、岐阜・愛知からのお客様が増えました。「今まで白川郷まではきていたけれど、五箇山は、はじめて。近くなったからね。」とおっしゃる方が大半です。高山からのお客さんも、「高山から白川郷まで30分だったよ。近いね〜。」とのこと。高山や、長野も近くなったのですね。 
 全線開通から10日。いつもの年ならば、梅雨どきでお客さんは多くない時期なのですが、今年は、たくさんのお客さんに来ていただいています。やはり、今までは少なかった中京方面からのお客さんが多いようです。新たな人々との出会いを毎日楽しみにしています。
  
 

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2008年04月22日
 最近、「花壇やプランターに植えてある花を取っていってしまった。」というニュースをよく耳にしますね。私たちのところでも、人が多くなると、いろんなものをとっていく人が増えます。
 道に植えてあるチューリップやスイセンが球根ごと、とられていたり、植えてある山菜をとられたり。もっとすごい人になると、泥を落とすために、車庫に広げておいた里芋やジャガイモ、畑のミニトマト等も持っていかれたことがあります。日中に堂々とですよ。
 確かに、畑とわかりにくい場所もありますが、私には理解しがたい行為です。普通に人の家の畑に入って、野菜をとっていけば、犯罪だと思うのですが・・。「旅の恥はかき捨て。」なのでしょうか?開放的な気分になって、ついやってしまうのでしょうか?一生懸命、植えたり育てたりしている私たちには、悲しいことです。

 でも、人が植えたものばかりではなく、山野草や山菜にも同じことがいえるのではないでしょうか。(菅沼でも、自然保護のため、山野草の採取は禁止しています。)過剰な採りすぎや、根元から採ってしまえば、その花は絶えてしまいます。昔は、「この山のここは、どこどこの人たちが採りに行く場所。」というものがあったと思うのですが。
 
 「今は、いろんな人がいろんなところへ山菜などを採りに行きますものね。」と先日、店でお客様と話していたら・・。
 そのお客様が、おっしゃるには「私たちはもともと富山の人間で、今は長野に住んでいます。長野の人たちは、お店などで富山ナンバーの車が停まっていると、ぞっとします。富山の人たちは、勝手に山に入って山菜などを根こそぎ持って行くからです。」とのこと。
 えー!富山の人なの?私は、知らなかったので、びっくりしたのと、同じ富山の人がと思うと悲しいのと。・・確かに、前に山菜をとっていこうとした人に父が注意したところ、「わかったちゃ。置いていけばいいがいろ。」という返事が返ってきたそうです。んー。富山弁だ。
 別の、富山にお住まいのお客様からも「岐阜と新潟の山は富山の人が荒らしてる。と言われたよ。」と聞きました。なんだかすごく、評判が悪いみたいです。
 全く入らないことは、山にもよくないと思うのですが、荒らしているとは・・。 
 罪の意識もなく採っている人もいると思いますが、ひとりひとりが考えてみなくてはなりませんよね。

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2008年04月08日
 佐藤 良二さんという人を皆さんはご存知でしょうか?
 前回、ドラマロケのことを書きましたが、そのドラマの主人公にもなっている人です。金沢と名古屋の間を走っていた国鉄バス(「名金線」と呼ばれていたそうです。)の車掌さんで、その路線沿いに、さくらを植えて歩いた人。というと、聞いたことがあると思われる方もいらっしゃるのでは?また、ご年配の方の中には、実際に佐藤さんが車掌さんだったバスに、「いつも乗っていたよ。」という方もいらっしゃるかもしれませんね。ユーモアたっぷりの楽しい車掌さんだったようです。
 
 佐藤さんは、昭和52年に47歳で亡くなってしまわれたのですが、書き残された日記やメモをもとに、佐藤 良二さんの生涯を書いた「さくら道」(中村儀朋さん編著)という本があります。
 この本に、佐藤さんが、桜を植え始めた、きっかけが書いてありました。
 それは。「荘川桜」でした。
 佐藤さんは、御母衣ダムの建設により、ダム湖に沈んでしまう集落にあった、2本の老桜の移植工事の様子をカメラに収め、その後もその桜を見守り続けます。そして、桜の移植が成功し、満開の桜の下に、湖に沈んだ集落の人々が集い、喜び合う姿や、涙を流して桜のそばから離れようとしない老婆の姿を見て、とても心を動かされ、さくらを植え始めたと書かれていました。

 私は、名前は知らないけれど、『国道沿いに桜を植えた国鉄バスの車掌さんがいた。』ことは知っていましたし、移植が難しかった『荘川桜』の話も、NHKの「プロジェクトX」という番組で見ました。でも二つの話は、まったく関わりが無いと思っていました。今思えば、ただ一人、移植の写真を撮っていた佐藤さんは、番組の中でも紹介されていたでしょうが・・。
 「こんな豪雪地帯に、雪に弱くて育ちにくいと聞く、さくらをナゼ植えていたんだろう?」私はずっと思っていたので、この本を読み、納得しました。
 佐藤さんはまた、当時、あまり交流が無かった太平洋側と日本海側の人々が、さくらの道を通じて親交を深めてくれたら。と考えていらっしゃったそうです。

 その佐藤さんが植えられた、さくらが、菅沼にもあります。
 「さくら道」によると、五箇山には昭和47年4月
に植えられたとありました。この本に載せられている写真の中にも、本には「白川郷の合掌造りの前」となっていますが、五箇山民俗館の前で、当時、一緒に植樹したのでしょう、旧上平村の役場の人たちと佐藤さんたちが写っているものがありました。
 植えられた桜のうち、3本は、五箇山民俗館の横にあります。この3本の桜が、我が家の店の、大きな窓からよく見え、お客さまに喜ばれていて、私も大好きな景色です。
 実は、車庫から店に改装する時に、私たちはこの桜をアテにして、大きな窓を設けたのです。でも、その時には、佐藤さんが植えられた桜だという意識はあまりありませんでした。

 そして、今から数年前、佐藤さんのご遺族の方が菅沼に見えられました。法事の機会に佐藤さんが植えられた桜を見て回っていらっしゃるとのこと。
 特別、名前も名乗られませんでしたが、本を読むと、お姉さんの「テル」さんだったのではないかと思います。
 その方は、「この桜が、何かご迷惑をかけていないでしょうか?」「すぐ横の田んぼはどなたのでしょう。桜が大きくなって、日当たりが悪いでしょうね。」と、言われたのです。
 桜はいつも、誇らしげに咲いているのに、「桜が迷惑をかけていないか?」と控えめにおっしゃるその言葉に私は感動しました。
 この田んぼは、我が家のもの。確かに、桜が大きくなるにつれ、実りが少なくなり、今では、田んぼの面積の半分くらいしか、お米になりません。(ならば、作らなければいいと思われるかも知れませんが、ここは、世界遺産そして史跡ですから荒らしてはおけないのです。)
 父は、その方に、「私の家の田んぼです。実りは少ないですが、その代わり、この店から桜が見えるように大きな窓を作り、お客さんたちに喜んでもらっています。私たちもこの桜の恩恵を受けていますよ。」と話しました。それでもその方は、「すみません。」と言いながら帰っていかれました。
 そんなことがあって私は、さらにこの桜が好きになりました。
 
 そして一昨年、また別の女性が店を訪ねていらっしゃいました。手には、ペットボトルに入ったお米。「母が、桜のせいでお米があまりとれないと、とても気にして・・。今、本人は入院していて来られないものですから代わりに来ました。」とのこと。病床でずっと気にしていらしたのかと思うと、私たちの方が申し訳なくなりましたが、心のこもったお米、ありがたくいただきました。そして、このとき「さくら道」の本も置いていかれたのです。

 そのテルさんが、先日、亡くなられたと聞きました。佐藤 良二さんという方も、すごい方だと本を読ませていただいて思いましたが、姉の「テル」さんも、すばらしい方だと思います。出会えたことに感謝です。
 今年は、一緒に、良二さんの植えられた満開の「さくら」を見られるのでしょうね。

 春遅い五箇山も、もうすぐ桜の季節です。

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2008年03月25日
 3月6日、菅沼集落で、テレビドラマ「さくら道」(仮題)のロケがありました。
 俳優さん2人。監督さん他、約40人のスタッフの方たち。(もはや、菅沼住民より多い人数です。)たくさんの機材と車・・・。
 朝8時頃から始まり、夕方5時過ぎまでかかっての撮影でした。
 この日は、天気も良く日中は暖かい撮影日和り?!でした。でも、撮影隊の皆さんは、荘川で泊まっているとのことで、朝、来る途中の道が、凍っていて、横に落ちてる車を見て怖くなったと言っていました。そのせいでしょう。最初は7時頃からの撮影予定だったはず・・。ここら辺では、3月の初めならまだ凍ってても当たり前です。でも落ちてたのは、地元民らしき軽トラ二台とのことで、地元民が滑って落ちてることが、怖かったのかな?
 
 菅沼でのロケですから、途中、途中で観光客を止めての撮影です。事前にスッタフの方にはお願いしてありましたが、バスツアーのお客さんは滞在時間が少ないので、心配でした。しかし、さすがプロ。あまり観光客を待たせずに撮影の合間、あいまに通していきます。都会の街中でのロケに比べれば、ずっと楽だそうで。おみそれしました。

 俳優さんは、このドラマの主人公・佐藤 良二さん役の、緒形 直人さん。その友人役の、田中 要次さんのお二人でした。緒形 直人さんは緒形 拳さんの息子さんで、みなさんもよくご存知だと思います。田中 要次さんは、「ヒーロー」というテレビ番組で、「あるよ」と言っていた、マスター役をしていた人。といったら思い付いてくださる方もいるかな?
 緒形さんは、顔が小さく、テレビで見たままの純朴な感じの方でした。「お昼ごはんを食べに入られたのも、スタッフの人たちと一緒で、はじめは気付かなかった。」と、隣の家のお母さん。
 田中さんは、テレビで見ていると、がっしりタイプに見えたのですが、ほっそりした方でした。やはり、目が大きく、遠くからでもどこにいらっしゃるかすぐにわかりました。
 奥さん役の、薬師丸 ひろ子さんは、ここでの撮影シーンはないので、いらっしゃらなかったのですが、どこから聞きつけてきたのか、「薬師丸 ひろ子さんは?」と見に来るおじさんもいました。

 天気も良かったからか、お二人とも撮影現場から、あまり離れられず、近くでじっくりというわけにはいきませんでした。残念!でも、ご好意で、ロケ終了後、集落のみんなと、監督さん俳優さんを囲んで写真を撮っていただきました。いい記念になり、この集落も少し活気付いたようで、うれしい日でした。

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2008年03月11日
 南砺の地域に住む私たちには、「雪かき」は冬の欠かせない仕事ですが、昨シーズンは暖冬で、屋根の雪下ろしは、せずに終わりました。今年も、昨年よりは積もっているものの、「いつもの年と比べると、少ないね。」と皆で話していたところ、2月の中旬頃から、まとまった雪が何度か降り、気が付けば、一番多いときには、2メートル弱の積雪となりました。(それでも、少ない方なのですが。)
 
 それにしても、私の小さい頃は、冬といえば、前も後ろも、右も左も下も、全部真っ白!という日が何日も続き、空は、どんよりと厚く低い雲に覆われていたイメージですが、ここ最近は、きれいな青空が広がる日も多いような気がします。(逆にこんな真冬の日は、放射冷却となり凍結して大変ですけれども。)
道路も、雪で路面が見えない日はほとんどなく、車が欠かせない私たちには、ありがたいことです。

 これだけの雪が降ると、我が家の合掌屋根にも、かなりの雪が積もりました。しかも、今年は風の影響を受けて、片方に寄って積もっていました。この屋根雪をそのままにしておくと、雪が落ちるときに、屋根を痛めるおそれがあるそうです。

 「合掌造りも屋根雪を下ろすの?」とよく聞かれますが・・・合掌屋根の一番上、棟の部分は、幅が約1メートルほどあります。そこには、カヤが横にして並べてあります。(ムネガヤ)。その上に、トタンを被せ、「ノノセ」と呼ばれる、長く太い割り木を3本、縦に並べて、両側から番線で固定してあります。
 棟の部分を押さえている、この「ノノセ」が、雪が落ちる時に、一緒に落ちてくることがあるのです。
 
 カヤ屋根を傷める事を防ぐだけでなく、長い年数、もたせる為にも、「屋根雪下ろし」や「屋尻を切る」といった作業は大切なのだと、父から教わりました。

 高いところの嫌いでない私は、父を手伝って、土蔵の屋根雪下ろしなどは、するのですが、実はまだ、合掌の大屋根には、(合掌造りの棟の部分を大屋根、ツマの瓦屋根の部分を小屋根と呼んでいます。)上ったことがありません。
 2年前の大雪の時には、屋根の途中まで上がったのですが、一番上には、立ったことがないのです。
 「今年こそ!」と毎年思っているのですが・・。
 祖母は、「よく雪下ろしに大屋根に上がったもんじゃ。高くて気持ちいいぞ。」と話してくれました。戦時中の男手が少ない時のことでしょうか?ならば私も!と思ったのです。

 いつもの年ならば、合掌屋根の雪を下ろす頃には、積もった雪と屋根から落ちた雪で、屋尻のところまで雪があるのですが、今年はありません。次のまとまった雪が降るまでに時間があったので、除雪してしまったのです。もう一方は、消雪のための池になっているのですが、この池も、いつもの年ならば、埋まってしまっている時期ですが、今年は出ています。・・・「どっちに落ちても痛そう。」と思うと、さすがに、「私も大屋根に上がりたい。」とは、言い出せませんでした。

 ただ、車や、人(観光客)が通りますし、「もしも」のことがあると困りますから、下で見ている人も必要です。
 と言い訳めいたことを、思いつつ、父の作業を見守りました。

 屋根から下げてある鎖を使い、命綱をつけて、父は器用に上がっていきます。上の方まで上がると、雪を落とし、足場を作り、棟に上がります。
 屋根に積もっている雪は重くなっているので、下に落ちると、けっこう大きな音がします。
 観光客の皆さんは、その音に驚かれます。雪の降らないところでは、雪は軽いものだと思われているようです。
 雪を下ろすとき、棟の上にいると、雪が落ちる反動で、屋根が揺れるそうです。地震にも強いと言われる合掌造りの構造上の特徴なのですが、慣れていない人には、怖いそうです。
 約1時間ほどで、父は大屋根の雪おろしを終わりました。
 いつもなら、この後、下ろした雪で屋尻が埋まるので、その雪を取り除くという、いや〜な作業が待っているのですが、今回はその作業も必要なく楽チンでした。
 「来年こそは!」と心に誓った私でした。
 


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2008年02月26日
 五箇山では(全域ではないかもしれません。)初午の日には、団子を作ります。
 この日は「まゆまつり」と言われ、白い団子を繭にかたどり、「良いまゆが、たくさんできますように」と仏壇や、神棚にお供えしました。(今年は2月12日でした。)昔は、米粉は高級だったので、ソバやキビの粉などでも作られたそうです。
 これは、五箇山で養蚕が盛んに行われていた頃からある行事だそうですが、養蚕をしなくなった今でも、初午に団子を作ってお供えするという習慣だけは残っています。
 なぜ、初午の日が、繭のお祭りだったのか? 私がきいたところでは、残念ながら、わかりませんでした。
 
 塩硝造りから、養蚕へと稼業が変わり、蚕がとても大事な収入源だったことが、うかがえます。
 そして、戦後の「自給自足政策」により田んぼを開墾したことで、蚕の餌になる桑畑は、ほとんど無くなってしまい、五箇山の養蚕も廃れていきました。これも時代の流れなのでしょうね。
 少しさみしい気はしますが、私も昔、蚕の工場見学に行ったとき、たくさんの蚕が、葉っぱを食べる音の大きさに驚いたのを覚えています。この音で、「眠れなかった」という話をお年寄りからよく聞きました。それを今でも、家の二階でしていたらと思うと・・・。 
 昔の人たちの苦労を想いつつ、今年も団子を作りました。

 上新粉に熱湯を注ぎ、最初は箸で混ぜます。熱さがとれ、まとまってきたら、今度は手でよく捏ねます。「強い力で、こねればこねるほど、うまくなる。」と祖母はよく言ったものです。
 捏ねあがると、生地を丸めていきます。まゆの形にしたり、丸くしたり。
 丸め終われば、後は蒸すだけです。

 蒸しあがってふたを開けると、ふっくらとした真っ白いお団子の、いい香りが台所に広がります。
 神様と仏様にお供えして、私たちは、きな粉をかけて、いただきます。作ったその日は、温め直さずに食べるのが慣わしです。
 蒸したてはもちろん美味しいのですが、硬くなった団子を焼いて食べるのも、焦げたところが香ばしく美味しいです。

 また、次の日は、「火祭り」(ひぶせ)と言い、火の神様に感謝し、火災などがおきないようお祈りする日です。(地域によっては初午の前日です。)この日は、赤飯を作り、台所にお神酒と赤飯を供えます。昔は、いろりや風呂場など、火を使うところすべてに、お供えしたそうです。
 
 ばちあたりな話ですが、お団子・赤飯と続くので、このあいだは、とても太った気がします。でも美味しいので控える気もないのですが・・。

 団子は、この日以外にも、冬の間、各家々ではよく作られたようです。寒く厳しい五箇山の冬を過ごす中での、楽しみのひとつだったのでしょう。また、保存性も高く、腹持ちもよい団子は、雪かき等の力仕事がある冬場には、もってこいの、おやつだったのでしょうね。
 
 

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2008年02月12日
 2月2・3日(土・日)に世界遺産・菅沼合掌集落のライトアップイベント 四季の五箇山「雪あかり」が催されました。(前の週の1月26・27日の土・日には、国指定重要文化財の岩瀬家と、行徳寺がライトアップされました。)
 このライトアップイベントは、平成13年から始まり、今年で7回目となるそうで、五箇山の冬のイベントの1つとして定着してきたように思います。 
 今年は、二日間で、バス約90台、およそ1万人の人々が、お越しくださいました。

 住んでいて、いつも見ていても、雪を屋根にのせた合掌造りは美しく、他の季節とは一変する周りの風景は、水墨画のようです。田畑はすべて雪に覆われ、木々の枝には雪が積もり、軒にはつららが下がります。
 ライトアップされると、時間が経つにつれ、外からのライトが、合掌造りの家々を浮かび上がらせ、二階三階の窓からの「あかり」は温かさを感じさせてくれます。
 豪雪に耐えられるよう、先人の知恵により造り上げられたこの家屋は、その役目を果たす冬こそ、美しく見えるのでしょうか?
そして私たちには、雪から護ってくれる頼もしい存在です。
 とは言え、この日は店が忙しく、残念ながら、ライトアップを見ている余裕はありません。

 この時期、普通の年ならば、積雪は2メートルを越えていますが、昨年も今年も、暖冬なのでしょう。積雪は80センチ程です。
 もともと、合掌屋根は60度の傾斜がありますから、日中、気温が上がれば屋根雪は落ちてしまいます。雪がこんもりと屋根にのっている時は、日中でも気温が上がらず、雪の降る日が何日も続いている時なのです。今年は屋根にも少し雪がのっている状態でした。

 前の日から、実行委員の方々・スタッフの皆さん・集落の人たちが、雪の中を、除雪やライト設定、駐車場の整備等に走り回ります。
 当日は、来ていただいたお客様に楽しんでいただけるよう、五箇山民謡のステージや、温かい飲み物などを販売するテナントも出店しています。
 
 冬の夜のイベントですから、歩かれる道や駐車場には、スタッフの人たちは、とても気を配っています。事故がないよう、怪我がないよう。スムーズにバスや自家用車の出入りができるよう。
 
 いろんな人たちの力で、今年のライトアップも無事終わりました。
 ただ、地元の人たちだけでは、人手が足りなくなってきています。
 来年は、皆さんもライトアップを支える力になってみませんか?
 スタッフの皆さん、本当にお疲れ様でした!

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2008年01月29日
 さあ、アク抜きをしてから、2日経ちました。
 (苛性ソーダ水と栃を合わせて、しばらくすると、水の色が茶色く変わります。そうなれば、まずは第一段階クリアーです。ここまでは、うまくいったのですが・・。) 
 ちゃんとアクが抜けていれば、栃の実を割ると、中の色が、白色っぽかったものが、あめ色に変わっています。

 栃の実を桶からすくい出してみると、・・色はキレイな、あめ色です。よく洗ってから、少量を煮てみます。煮ながら、栃の実をつつくと、ぽろっ。ぽろっ。とくずれていきました。どうやら今年は成功したようです!

 後は、使う分だけ(我が家では、もち米1升5合に栃5合の割合です。) 栃を取り出し、よく洗ってから、もち米と一緒に蒸して、餅を搗きます。搗いていくと、もち米と混ざり、きれいな茶色になってきます。栃の実もうまくつぶれているようです。白餅よりもやわらかいので、取り出す時には、母のテクニックが必要です。

 私の家では、伸し餅のほかに、あんこを付けたお餅も作るので、栃餅は2臼つきますが、いろいろな人に、おすそ分けするので、少なくなってしまいます。でも、うまくできたものは、皆で食べたほうが、いいですよね。

 苛性ソーダでのアク抜きのほかに、灰を使ってのアク抜きの方法もあります。昔は、灰を使うのが当たり前だったのですが、今は、いろりで火を焚いたり、薪を使ったりしないので、灰が手に入りにくいため、苛性ソーダを使う家が多いようです。
 どちらにしても、栃のアクが強いので、アク抜きに使う道具や桶は決まっています。

 栃の実は、上手に乾燥してあれば、何年経っても食べられると言われます。また、今の時代なら、アク抜きしたものを冷凍に入れておけば、次の年にも使えるという、本当に優秀な保存食ですね。そして何より、美味しい!昔の人々の知恵と工夫には、頭が下がります。

 こうして、今回の「アク抜き」は、終わりました。今年は、アク抜きした栃が残っているので、しないハズです。来年は、このコラムを読み返しながら、「アク抜き」しているかもしれません・・。

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2008年01月15日
 12月に入ると、お正月用の栃餅のために、栃のアク抜きをします。
 栃は、210日の風が吹くころに、実が落ちると言われます。家では、「おわら風の盆」と聞くと「栃の実、拾わんなんね。」という話がでます。 花より団子。と言ったところでしょうか?!
 
 母から、「今年は3升分の栃をアク抜きします。」と言われました。
 まずは、秋に拾ってよく乾かしておいた栃を一晩、水に浸けておきます。そして、皮をむきやすくするために、お湯に浸けながら皮をむきます。このときにはよく、「かなづち」を用いて栃の皮を割って皮をむきます。(そのほうが栃の実が割れてアクが抜けやすくなるそうです。)かなづちを使うと床が傷つきますし、栃のアクが強く汚してしまうので、皮むきの作業は玄関先や車庫でされる方が多いようです。・・が、12月に入ってからのこの作業。もう雪が積もっている年もありますし、何時間もかかる根気のいる作業です。それを寒い所でするので、なんとな〜く避けて通りたいのですが・・。

 12月も中頃を過ぎたある日、水に浸けられた栃の実が入ったバケツが2つ並べられていました。
 それから、2晩かけて皆で皮むきです。一人ではないので、気持ちは楽ですが、昔、ばあちゃんは一人でよくやってたなあ。と感心します。
拾う時には、もったいないと思う小さな栃の実も皮をむくときには、拾わなきゃよかったと思います。
栃は、とてもアクの強いものですが、こんなものにも虫が入っていたり、山に食べ物がない時にはクマも食べるそうです。
栗と同じで渋皮もありますから、それもできるだけ、きれいに取り除きます。
 そんなこんなで皮をむきおわったら、流れ水に約一週間さらします。 そして、ここからが山場!

 苛性ソーダでアク抜きです。(この方法は人によって様々です。)

 まず、鍋に栃を入れ、水から45分ほど煮ます。煮終わったら、お湯を捨て栃を冷まします。別の鍋に、栃が浸かる量のお湯を沸かして、少し冷ましてから、苛性ソーダを溶かします。1升の栃に40グラムの苛性ソーダを使います。完全に溶かさなければいけませんが、はじいてヤケドのおそれもありますから、かなりの「へっぴり腰」状態です。苛性ソーダ水もよく冷まします。
 どちらも冷えたら栃に苛性ソーダ水を加えます。この時も、はじいて危ないので気を付けなければなりません。軽く混ぜて終了です。このまま、2日ほどでアクが抜けます。 お湯が熱すぎると、栃の実は溶けて無くなってしまいますし、アクが抜けていないと、お餅にしても米と混ざらず、形も残って、苦くて硬いので食べられません。
 アク抜きをした栃は、冷凍しておけば、栗のように臭いが移ることもなく次の年にも使えます。ですから、毎年はしないこともあるので、思い出しながら、人に確認しながらの作業です。
 ここまでくれば、後は、神だのみ!皮むきの苦労が水の泡になりませんように!!
 結果は、次回・・。 


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2008年01月01日
 元旦のコラムということで、元旦の行事について書こうと思ったのですが・・。

 菅沼では、一日には、集落の住民が朝、お宮さんに集まり、皆でお参りをして新年の挨拶をします。31日に、お神酒とお鏡を各家々からお宮さんに持って行きます。雪が多い年には、お宮さんまでの道をつけるのが大変ですが、これは毎年交代でしている神主宿の仕事です。
 私の家では、一日に家族みんなで仏壇にお参りします。大晦日の夜にも、おまいりするのが毎年の恒例ですが・・。

 ふと考えてみると、私の住んでいる、旧上平村では、神事があまり行われていないように思います。

 12月に、前に白川村の教育長をされていた、柿崎先生と、集落民とで話をする機会がありました。その際、先生が「かつて白川・五箇山は自然信仰が栄えていた。今でも、いたるところにその痕跡が残されている。」と、おっしゃっていました。
 私たちの地域でも、もちろん、春祭りや秋祭りは行われ、獅子舞もあります。
でも他の地域には、白川村では「どぶろく祭り」、旧平村、上梨ではお祭りの時に白山宮に踊りを奉納したり、下梨では厄年の男の人だけで餅をつく神事など等があったりします。でも、旧上平では(私が知らないだけかもしれませんが。)そのような神事は行われていません。ただ、各々の家では、例えば、「神様送り」や「神様迎え」等の行事は行っていますので、【地域の人たちで集まって行う神様をまつる儀式】と言った方がいいかもしれません。

 それには(柿崎先生もおっしゃっていましたが)浄土真宗の影響が大きいと思われます。他に、神主さんがいないことも挙げられるのではないでしょうか?この辺りは、城端や井口などから神主さんに来ていただいています。
 昔の人は皆、自然物すべてに命が宿り、それにより自分たちが生かされていると考え、神としてまつりましたが、それは浄土真宗にも通じるのだと思います。旧上平村の「赤尾の道宗様」により浄土真宗が人々の生活に浸透していく中で、神事仏事はまさに混淆(こんこう)していったのではないでしょうか。仏事を行うことで神事も行っているといったような。
我が家でも、「おぼくさま」は仏壇にも神棚にも、お供えします。その年初めて採れた物・何かのお祝いに作ったものもすべて仏様にも神様にもお供えします。
 徳の高い浄土真宗の指導者がいた上平では、指導者のいない神事は受け継がれなかったのかもしれません。

 いずれにしろ、自然のものを畏れ敬い、愛しむ心は忘れてはいけないですね。今年も、すべてのものに感謝する気持ちを忘れずにいたいとおもいます。(できるかな?)

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2007年12月18日
 今年も無事、我が家の「ほんこ様」が終わりました。やはり、これが終わらないと落ち着かない。その年、最後の大イベントです。
 そもそも「報恩講」は親鸞聖人の遺徳を偲んで10〜12月の間に各家々で行われる仏教行事だそうですが、「その年に採れた一番良い物を料理に使う」ことからも、収穫に感謝する意味合いも含まれているようです。
 私の小さいころは「ほんこ様」と言えば、夜遅くまで起きていても親に叱られなかったり、「茶のこ」を一人にひとつずつもらえたりするのが嬉しかったものですが。・・お勤めの間は辛かったなあ・・。
 昔、よく祖母が「これ(野菜)良いがになったで、ほんこに残しとかんなん。」と言ったものですが、不思議なことに今では、母も私も畑で「これ、ほんこに残しておこうね。」という話をします。いつの間にやら身についているようで・・。

 夕方6時ごろ、お坊さん、お客さんも集まり、ほんこ様が始まります。仏壇に「おとめの火」をあげて、お勤め。お文様をよまれ、説教があり、そのあと「御膳」をいただきます。昔は「夜食」も出したのですが今では「夜食」はなくなり、お勤めの後で御膳をゆっくりいただくお家が多いようです。夜食は「ぜんざい」だったり、家によっては「うどん」だったり。これも子供たちには楽しみのひとつでした。

 朱色の御膳にのる料理は「おへら」「こじり」「酢の物」「つぼ」「ぜんまい」「ご飯」「いとこ煮」の7種類です。「おへら」の豆腐は『蓋からはみだす』ほど大きく、その他に入れる里芋も切らないので、手を付けられない率、1です。ただ、「この豆腐に、かぶりつくのが楽しみ!」と言われる人もいます。(今年の、ほんこ様には、五箇山とうふを4つと半分煮ました。あっという間に無くなりましたが。) 「ご飯」と「いとこ煮」は後から出しますが、「ご飯」は昔のように、強い鉢(山盛りのご飯)にすることはありません。 集落によっては、入れ物を持参し、自分が食べきれない分を詰めて、持ち帰る所もあります。また、集落が違うと、料理の呼び方や中の具が変わったり、並べ方も違うものもあります。
 7種類の料理の他にも、お重やお皿に、「なんぱんころがし」「赤かぶの漬物」「わらびの煮物」等々の副菜が並びます。これも、家々でメニューが違いますし、その年に採れた物や頂いたもの等でも変わってきます。今年は貴重な山菜を頂いたり、家でもウドを塩漬けしてみたりしたので、ほんこ様にも色々な副菜が並びました。そう考えてみると、「ほんこ様」の準備は春からすでに始まっているんですね。

 今年の、ほんこ様は、父の兄弟たちも揃い、賑やかでした。家を出てから初めてという人が多いので、約50年振りの「ほんこ様」だそうです。
 祖父母が「ほんこのごっつおは、なに食ても美味い」と言ったものですが、皆、朱色の御膳で、沢山の親戚との食事は楽しく、山菜料理や五箇山とうふは、懐かしく美味しく感じられるものなのでしょう。
 食事が終わったころ、一人ひとりに「茶のこ」が配られます。配るのは、小さい子供の役目でした。子供たちも大人に「偉いねー。ごっつお様」と言われて得意げになったものです。 
 それから「おえ」(茶の間)に移動して、お茶を飲みながら、話をしたりお菓子をつまんだり。この間に女の人たちで片付けをしたり、家の者が食事したりします。 一段落したころ、「でっかいことよばれて、ごっつお様やった。そろそろ下向(げこ)させてもらうわ。」と、お客さんたちは帰っていかれます。

 こうして無事、今年の「ほんこ様」も終わりました。親戚や近所の人たちとのつながりを改めて感じる「ほんこ様」です。時代の流れと共に少しずつ変わってきてはいますが、それにしても、「ほんこ様」をずっと守り続けているお母さんたちは偉い! 
 

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2007年11月20日
11月10日(土)毎年恒例の防火訓練、一斉放水が行われました。集落に設置されている放水銃は、全部で24基。この24基全てを放水するのは、年に一度だけなのです。
この日は、前の晩から雨が降り続いて、止みそうにありません。実は、今までの一斉放水で晴れたのは、一度だけなのです。・・今年も雨かあ〜。どうせ濡れるのは同じだけど・・。朝7時前。外を見ると国道沿いのガードレールには、もう数人の人影が。非公開ではありますが、熱心なカメラマンさんたちが、毎年いらっしゃいます。
私たちは、上下の「かっぱ」に「長ぐつ」「ゴム手袋」「帽子」「タオル」で完全防水。そして、「民俗館から出火」という想定で訓練が始まりました。サイレンと共に通報。住民は、放水銃のフタを開け、銃を空に向けセットして放水開始。消防車も駆け付け、さらに放水。水のアーチがあちこちにできました。しばらくすると、雨が上がり青空が見えはじめ・・・虹が!
虹のアーチもあちらこちらに現われ、とても奇麗でした。
合掌屋根に水のアーチと虹のアーチ。そして山々の紅葉。この風景はいつまでも守っていきたいと思う私でした。

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2007年11月06日
私がコラムニストなんて・・。と思いましたが、これも何かの縁。南砺の皆さんにも、近くにあって意外と知らない世界遺産の合掌集落のことを知ってもらい、そこでの出来事や感じたことをお伝えできればと思います。
では、最初なので、菅沼合掌集落について書きますね。現在、菅沼には、9棟の合掌家屋があります。7世帯、約30人が生活している小さな集落です。
昭和45年に国指定史跡に、平成7年には世界遺産に登録されています。
この世界遺産。自然遺産には、グランド・キャニオンや屋久島などが。文化遺産には、万里の長城やヴェルサイユ宮殿などが登録されています。(合掌集落は文化遺産です)どれもスケールも大きく、世に名だたるところばかりです。それに比べて我家?・・・。世界の宝?!当初はそう思いました。
では、なぜ世界遺産に登録されたのか?最も当てはまるであろう理由。それは、・・・。
「合掌造りが構造上、非常に価値の高い建築物であること。」
「木造でありながら長い年月、個々の家で守り続け、現在まで集落として残っていること。そしてそ今も人が住み続けていること。」ではないでしょうか?
保存しながら生活し続ける。そんな合掌集落での日々を載せていきたいと思います。

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プロフィール
北 正美
南砺市菅沼生まれ。現在、父と共に集落内で喫茶店を開いています。家は合掌造りです。
趣味:読書

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